
宮城県・南三陸にある「南三陸ホテル観洋」は全室オーシャンビューの太平洋を一望できる絶景の温泉宿として人気があります。
今回、南三陸ホテル観洋を訪れた一番の目的は、海が見える温泉に入りたいというシンプルなものでした。
しかし、このホテルの魅力はそれだけではありませんでした。
東日本大震災の記憶を伝える「語り部バス」など、ここでしかできない体験がある宿でもあり、癒しと学びを同時に体験できる特別な場所でもありました。
旅行をより意味のあるものにしたい人におすすめできる宿です。
- 【南三陸ホテル観洋とは?震災を乗り越えたホテルの歴史】
- 【海に面した絶好のロケーションとオーシャンビュー温泉の魅力】
- 【震災語り部バスとは?実際の体験内容|参加して感じたこと】
- 【あとがき|こんな人におすすめ】
【南三陸ホテル観洋とは?震災を乗り越えたホテルの歴史】

目の前が海というロケーションで、自然の迫力を感じられる一方で、災害時のことも少し頭をよぎります。
南三陸ホテル観洋は、地震直後に停電・断水となったものの、地震の揺れによる被害はほとんどなく、売店の商品も棚から崩れることもありませんでした。
南三陸町の町そのものが消えたといわれるほど壊滅的被害を受けたなか、南三陸ホテル観洋はなぜ最小限の被害で済んだのでしょうか。
それは南三陸ホテル観洋の創業者でもあり、南三陸町にも被害をもたらした1960年に発生した マグニチュード9.5を記録した観測史上世界最大級のチリ地震で被災した阿部泰児さんが、その自身の経験から「津波は必ず来る」という前提で考え岩盤の高台にホテルを建設されたからです。

2011年の東日本大震災では津波はホテルにも到達しており、2階大浴場付近まで浸水しましたが、建物は崩壊せず多くの命が守られました。
津波で機能停止にしにくくするために、ホテルの重要設備(ボイラー室など)を低層階に置かない設計にしており(たしかボイラー室は3階にあると仰っていました)、このホテルは避難所としても運営することができました。
東日本大震災の発生当日には、南三陸ホテル観洋にはお客様とホテルのスタッフ、周辺住民の合計350名、翌日には600名が滞在し、震災直後から一次・二次避難場所として600名の地元の方、医療・インフラ工事関係者を含め1000名以上を受け入れています。
阿部泰児さんのご自宅も津波が来る前提で建設されたそうです。
【海に面した絶好のロケーションとオーシャンビュー温泉の魅力】

ホテルは歴史を感じさせる佇まいながら、手入れが行き届いていて快適に過ごせます。
南三陸ホテル観洋の最大の魅力のひとつが、海と一体化したような露天風呂です。
地下2000mから湧き出る深層天然温泉。
目の前に広がる太平洋を眺めながら入る温泉は、まさに非日常の体験。
特に、早朝には海から昇る朝日を見ながら入浴できる贅沢な時間を味わえます。

客室はすべて海側に面しており、どの部屋からもオーシャンビューを楽しめます。

朝になるとウミネコが窓の近くまで飛んでくることもあり、自然との距離の近さを感じられました。
お部屋に置いてあったうにせんべいも美味しかったです▼

【震災語り部バスとは?実際の体験内容|参加して感じたこと】
翌日の朝は震災語り部バスを予約していました。
当日は10組くらい語り部体験希望の方がいました。
往復で1時間くらいかけて、被災した記憶や復興の様子を実際に目で見ながらゆっくり当時の震災の記憶を辿ります。
語り部バスでは、自宅を津波で流されるなど自らも被災者となったホテルスタッフの方が「語り部」となって東日本大震災当時の体験を直接伝える語り部活動を2011年4月からスタートしました。
「震災を風化させない」
「誰にも同じ目にあってほしくない」
という女将さんの言葉に込められた強い思いを感じることができました。
女将さんはおそらく誰が見ても女将さんだとわかる、すべてのお客様に笑顔を絶やさず懐の深さと芯の強さを感じさせるような品のあるオーラを放っている方でした。
女将さんをはじめ、スタッフの方々の接客は最後のお見送りまでとても丁寧でした。

特に印象に残ったお話は2011年の東日本大震災による巨大津波で大きな被害を受けた旧戸倉小学校のお話です。
校舎は最終的には数百メートルも流され、校舎の一部は原形をとどめないほど破壊されました。
ここの校長先生は震災が起こる少し前に埼玉から赴任されてきました。
当時、震災が起きたときは高台が避難場所に指定されていました。
戸倉小学校には戸倉保育所が隣接されていたのですが、戸倉保育所の避難場所は小学校の屋上でした。
このことに疑問を持った校長先生は小学校も保育所と同じ小学校の屋上を避難場所にしましょうと提案されました。
また高台に避難するためには国道を横切らなければならず、子供の足では十数分かかり逃げ切れないと思ったそうです。
しかし、このことに強く反対したのが網本の娘さんでした。
地震などの災害が起きたとき、昔から高台に避難するように教えられている、小学校の屋上を避難場所にすると孤立してしまうと校長先生に最後まで抗議しました。
校長先生は避難場所について、何度も話し合いを重ねて最終的に
「では避難場所を二ヶ所にしましょう。小学校の屋上か高台か、そのときに判断しましょう」
と決めたのは震災が起こるほんの少し前の2011年2月のことでした。
そして「そのとき」はすぐにやってきます。
2011年3月11日14時46分、あの東日本大震災が起きました。
このときの校長先生はどのような判断をされたのでしょうか。
校長先生は地震が起きたとき、
「高台に避難しましょう!」
とすぐに判断されました。
戸倉保育所の子供達も園長先生の判断で屋上ではなく、高台を目指し結果的に多くの命が助かりました。
南三陸町の4階建ての冠婚葬祭場「高野会館」では震災当時、高齢者芸能発表会が行われていたのですが従業員の方々が「大津波がくる」と判断し帰ろうとする人達を引き止め、屋上のさらに上まで避難、屋上まで浸水しましたが全員助かりました▼

助かった後もまだ壮絶なお話が続きますが、映像やニュースでは伝わらない「現実の声」を聞くことができる貴重な機会でした。
単なる観光ではなく、防災や命の大切さを考えられる時間になります。
宿泊者は希望すれば無料でこの語り部バスを体験することができます。
宿泊者ではなくても有料(大人(中学生以上)500円、子供(小学生以下250円))にはなりますが体験できます。
館内にある震災コーナー▼

【あとがき|こんな人におすすめ】
震災のお話が長くなってしまいましたが、オーシャンビューの温泉、南三陸ならではの美味しい新鮮な海の幸ももちろん味わえます。

朝食はバイキング▼

・防災について学びたい人
・子供に震災の記憶を伝えたい人
・意味のある旅行をしたい人
・東北旅行をより深く体験したい人
こんな人におすすめです。
復興の象徴ともいえる南三陸ホテル観洋の近くにある南三陸さんさん商店街▼



震災語り部体験を通して、
「もし自分だったらどうするか」
を考えさせられるし、知ることの大切さを感じました。
今生きているからこそ、今だからこそ語れること、伝えられることってあると思いますし意味のあることだと思うんですよね。
語り部さんも仰っていましたが、人はこれまで経験したことのない出来事に直面すると、自分で正しい判断をするのが難しくなります。
多くの人が無意識に「周囲の行動」に頼ってしまいます。
東日本大震災のときも周囲に流されて避難が遅れたり、避難先の選択を誤ったということが実際に起きていました。
それは自然な反応なのですが、事前の学びや体験が命を守る行動につながります。
現地で聞く話は想像以上にリアルで言葉を失う瞬間もありますが観光という枠を超えた、きっと忘れられない時間になるのではないでしょうか。
津波被害を何度も経験した三陸地方では「津波てんでんこ」という昔から伝わる教えがあります。
「各自てんでに(それぞれ自分で)逃げなさい」という意味で、自分の命を最優先にすぐに逃げる、それは周りを見捨てるような冷たい考えに思われるかもしれませんが、そうではなく全員がすぐ逃げれば結果的にみんなが助かるという、津波から命を守る行動原則だそうです。
東日本大震災から15年の南三陸町は完全復興ではないけれど震災の記憶と文化を残しながら、生まれ変わった町です。
南三陸を訪れるなら、ぜひ一度学びと癒しを同時に体験してみてください。
最後にお土産に購入したもの(うにせんべい買い忘れてしまいました)▼
