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今日のテーマは
「劣等感」
について。
劣等感とは「自分が他人に劣っているという感情のこと」
劣等感が強いとか、弱いとか。
劣等感を感じる人、感じない人。
劣等感の塊のような方ももしかしたらいらっしゃるかもしれませんね。
皆さまは劣等感を感じることがありますか?
たぶん誰もが多かれ少なかれ持つ感情のひとつだと思うのです。
この劣等感を見て見ぬふりすることも、もちろん出来るでしょう。
だけどこの劣等感を感じる感情って必ずしも悪いものではないのですよね。
劣等感を感じることで向上心に繋がることもあるからです☆
問題なのは
誰かと比べるという行為、行動から間違った方向へ向かってしまった場合なのです。
間違った方向とはどういうことでしょうか?
気付いた瞬間から軌道修正したいですよね☆
- 【アドラー心理学で読み解く、劣等コンプレックスと優越コンプレックス】
- 【劣等コンプレックスと優越コンプレックスの共通点は自己の利益】
- 【「竹馬男の物語」劣等感が社会の利益に貢献するとは?】
- 【あとがき】
【アドラー心理学で読み解く、劣等コンプレックスと優越コンプレックス】
劣等感にも
- 適切な方向に向かう場合
- 不適切な方向へ向かう場合
があります。
適切な方向へ向かうというのは、
「劣等感が成長の原動力」
になっていること。
アドラー自身、劣等感がありました。
身体の弱かったアドラーは、とても健康な兄を羨ましく思っていました。
アドラーが医者になったのは、この劣等感を克服するためだったことが大きかったと気付きます。
不適切な方向へ向かうということは
「劣等コンプレックス」
または劣等コンプレックスの変種である
「優越コンプレックス」
を生むことになり、劣等感をなくす方法である成長の原動力の大きな妨げになってしまうことになるのです。
【劣等コンプレックスと優越コンプレックスの共通点は自己の利益】
人が劣等感を克服しようとすると、どこまでも劣等感を補償しようと努めることがあります。
このようなことを過補償(過剰補償)というのですが、自分が抱えている劣等性を他人に指摘されたり、見せたりすることが嫌で、傷つくことを恐れ、自分の殻に閉じこもってしまい、引きこもってしまったりする状況は「劣等コンプレックス」の典型的な例です。
劣等感をなくす方法
を考えたときに、この劣等コンプレックスを「成長の原動力」になるように軌道修正しようと思ったときには、大きな努力と時間が必要になってきます。
そんなとき、安易にこの「劣等コンプレックス」を克服、補償しようとした場合「優越コンプレックス」という劣等コンプレックスの変種に転じることがあるのです。
優越コンプレックスとは、労力や時間、お金を無駄に使って、自己満足のためだけに動くことなのですが、例えばお金もないのに他人が羨むような高級車に乗ってみたり、ブランド物を買い集めたり、他人と比べて優越感を感じるような、見栄をはるような行為ですね。
そこには自己の成長は何もありません。
間違った方向に劣等感が働いてしまっている証拠です。
劣等コンプレックスも優越コンプレックスもどちらも
自己の利益だけ追求している
というのがわかりますでしょうか。
この自己の利益を
「社会の利益に貢献すること」
それが実は劣等感をなくす方法の近道なのです☆
【「竹馬男の物語」劣等感が社会の利益に貢献するとは?】
でも「社会の利益に貢献する」って随分と綺麗事に聞こえませんか?(自分で言っていますが)
だけど、よく考えてみてください。
いつまでも自己の利益ばかり追求していて意味があるのでしょうか。
自分を大きく見せたい?何のために?誰のために?
自分を強く見せたい?何のために?誰のために?
そう思っているうちは「劣等感」で自己の成長が止まったままで、きっといつまでも満足することはないと思います。
ここで
「竹馬男の物語」
があります。
あるところにとてもプライドの高い背の低い男がいました。
背が低いことが竹馬男にとっては悩みの種だったので、背を高く見せようといつも竹馬に乗るようになりました。
竹馬から人々を見下ろす竹馬男はとっても気分が良いようです。
しかし、竹馬男に人々は口々にこんなことを言います。
「でも、竹馬に乗ったままでは電車にも乗れないだろう」
「でも、竹馬に乗ったままではレストランにも行けないだろう」
しかしプライドの高い竹馬男はこんな批判にはめげません。
血の滲むような努力をして、竹馬に乗ったまま電車にも乗れるようになり、レストランで食事ができるようになったのです。
これを見た人々は「やれやれ」と顔を見合わせました。
竹馬男は竹馬を乗りこなすため、血の滲むような多大な努力をしています。
このままいけば、きっと竹馬男は竹馬はいたまま海で泳げるようになるに違いありません。
この物語を読んで、あなたはどう思いましたか?
すごいな~!!
なんて無駄な時間と労力をつぎ込んでいるのだろうと思ったに違いありません。
だけど、竹馬男本人がこの無駄なこと、無意味なことに気付かない限り、きっと本当の幸せはやってこないでしょう。
竹馬男は極端ですが、出来ないことを出来るように見せたり、知らないことを知っているように見せたりすることは誰にでもあります。
でも竹馬男のこの行動、ある意味すごいと思いませんか?
不可能と感じることさえ手段を選ばず可能に見せてしまうほどの劣等感。
この努力を正しい方向(成長の原動力)で行動することができれば、竹馬男にとっても社会にとっても有意義で大きく貢献できると思いませんか?
自己満足だけを求めていたら、いつまでも劣等感という自分で決めた負のループから抜け出せないままではないでしょうか。
【あとがき】
最後までお読みくださりありがとうございます(*^^*)
「劣等感をなくす方法」
それは自分だけではなく社会の利益に貢献しようとする行動☆
それは相手のためになることを考えて提供すること☆
提供することで感謝や報酬が生まれることがあります。
社会への貢献が結果的に自己の利益にも繋がるのです。
回り道かもしれないけど、どれだけ時間がかかるかわからないけど、そうやって社会へ貢献したことが結局自分のところへ巡り巡って回ってくる。
竹馬男も遊園地とかサーカスとかで観衆を前に竹馬パフォーマンスをしたらきっと子供から大人まで沢山の人たちに喜ばれるに違いありません☆
劣等感は恥ずかしいものでもない。
劣等感を持っている自分は駄目な自分でもない。
劣等感をたくさん持っていてもいい。
この記事を書いていてあらためて気付いたことがありました。
私がお花屋さんで働いていたとき、周りの先輩達が作る花束がとても素敵過ぎて、作りたいけど作れない自分に劣等感を持っていました。
いきなりお花の業界に飛び込んだのだから、当たり前ですよね。
でも先輩達を超えたいと思ったことはないのです。
先輩達の作る花束は一つとして同じものはなく自分のセンスと個性を生かしつつ、お客様の希望を叶えている。
そして超えられないことがわかっていたから。
超えなきゃいけなかったのは自分の劣等感☆
「良い商品を提供してお客様の笑顔をたくさん見たい!!」
その一心で、先輩達の素敵なところを勉強したり、練習したりで、いつのまにかリーダーになっていて、先輩達よりもお給料も貰えるようになっていました。
なかなか使いモノにならなかった私を育ててくれたマネージャーや先輩達に感謝しかありません。
劣等感を超えたとき、本当にそこに想像もしない現実が待っていたのです。
自己の利益ではなく、花屋に飛び込んだ動機は、
「お客様の心にお花を咲かせてあげたい」
落ち込んでいたとき、いつも通り過ぎるだけだった憧れのお花屋さんで自分のために買ったひとつのミニブーケで自分の心にお花が咲いたような気持ちになったことを今でも覚えているし、お花屋さんで働いていた間、忘れたこともありませんでした。
まさか自分がその憧れのお店で働くことができるなんて(*^^*)
ただそれだけの思いで本当に劣等感は私に頑張る意味をもたらしてくれたように思います☆
社会に向けて自分が何ができるのかを考えてみるのも悪くないと思えます。
劣等感を超えてみることで見える景色を見たくなった今日この頃(*^^*)
さて何ができるかな☆
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